道具が媒介する記憶−生活造形としての「延縄」安岐理加

プロローグ  残された道具



祖父母が暮らしていた家(香川県小豆郡土庄町豊島家浦)には、暮らしをなりたたせるための道具(漁具、農具、生活用品)が残されていた。
それぞれ残された道具について近所の人々へ訊ねることで島では使用されなくなった道具が数多くあることがわかった。一方、より詳しい情報を求めて文献を参照しても、多くのことが記録されていない。
このリサーチは、「どういう目的を果たすための道具であるか」や「どのように存続してきたのか」とい云うこと、と「存続しなくなりそうである」現在について、様々な社会的、個人的出来事の因果関係、どのような社会背景で誰の手によって作られた道具なのかを文献資料を頼りに調査した。


穴子延縄漁のための漁具『ナワバチ』


haenawa

延縄漁に使用する漁具延縄「ナワバチ」「ハチナワ」「ナワ」(以降ナワバチと記す)は、漁具に記された制作年代(昭和47年〜50年)が示すように、比較的近年に使用されていた道具であるにもかかわらず、近隣に住む漁師たちへのヒアリングでは、漁撈光景を見てはいるがそれを使った漁を経験したことはない、という話が多数を占めた。

香川県下の水産業研究者らが編纂した香川県漁業史によれば、延縄漁とは、県下の大きな漁業産業である鯛と漁場を同じくする異なる手法の漁業として説明されている。その一方で、延縄漁と漂流漁民の関係性にまつわる数人の民俗学者らの文献を参照すると『ナワバチ』は、瀬戸内海の島嶼および沿岸地域において、漁撈環境を取り巻く社会、経済と消費の関係について注視し、その背後には、近世の瀬戸内海における舸子浦と小漁民との関係性が大きく関係していることを、記述し、漁業史的にも、民俗学的にも周縁的な特色を持つ漁具であると私は感じ、この二つの資料の言及の差異が表象する「当事者性」に関心を持ち、様々な資料を参照する際に注意を払いながらリサーチを進めた。

家船民俗資料緊急調査報告書 広島県教育委員会 初版 1970 年


広島県教育委員会が1970年に編纂した『家船民族資料緊急調査書』には広島県東部の漁港である能地と二窓を拠点とした、家船漁民の生活の記録と、移住、寄留したという港を記した地図が付録されている。岡山の郷土史家である角田直一は著書『十八人の墓 備讃瀬戸漁民史』で「延縄漁法は二窓の家船漁民によって江戸時代以降瀬戸内海各地に伝えられた。」と述べている。 (角田直一 , 1985 年 ,p41)


フィールドワーク   延縄漁の実践の場へ。

香川県瀬居島町 ( せいじまちょう ) の延縄漁師
瀬居島で生まれて育ち、十年ほど前から延縄漁を始めた漁師へ、ヒアリングとリサーチ撮影。















広島県尾道市吉和 ( よしわ ) の漁師
幼少の頃から両親が行う漁撈の船に同乗し、戦後の高度成長期から現在までの漁撈環境を知る現役の漁師へ、ヒアリングとリサーチ撮影。

















残された道具についての考察

民俗学者の宮本常一は著書『民具学の提唱』において、人々の生活の実践を、道具を通してみることは重要な考え方であり、道具は、人間の生活の有り様を報せる造形になると述べている。
この論考を参照し、道具を通して、人々が自らが置かれた環境において何故にその生業を選び、その道具を見出し、制作したのかという関心を通して社会の構造を見つめる。つまり、漁具として目の前の海の魚種、潮の流れ、人をも含む、自然に対置される諸条件を本来的性質と捉えた延縄漁は、漂流漁民の生活における実践の痕跡として、その技術のあり方を捉えられると考えた。
フィールドワークにおいて、二人の実践者に同行した。具体的な道具の使用方法を理解することは勿論のこと、漁撈環境における彼らの身体的な技法についてこそが、「残された道具」を理解するためには重要であった。そして、「道具」を目的を満たすための道具としての解釈を超えて、当事者らが理由を持って制作し、実践した記憶を伴った「生活造形」として読み解くことに関心を寄せた。



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